「町工場にヒツジがいっぴき」番外SS

町工場にヒツジがいっぴき (今城けい/Illustrator周防 佑未様)

町工場にヒツジがいっぴき (二見書房 シャレード文庫)

 カンチこと寒河の、とある一日のお話です。

 皆瀬製作所の寒河は、この工場に入って四年目。たったいまもカッコいい職人になれるよう、修行中の身の上である。
「おい、カンチ! ちょっと来い!」
「はっ、はいっ!」
「見てみろこれを。こっちも、ここもだ! これっぱかしの製品を作るのに、厚さにこんだけムラがあるって、どういうことだ!?」
 遠慮なく怒鳴ってくるのは、おやっさんこと皆瀬孝哲。この工場の代表者で、へら絞りではとび抜けた技量を持つベテラン中のベテランだ。
「前に俺の言ったことを聞いてたのか!? やり直せ、いますぐに!」
「はいっ!」
 こういうときに言い訳は不要である。たとえどのような事情や理由があろうとも、失敗は失敗で、ぐずぐず言うと、その三倍は叱られる。
 寒河は大急ぎで元いた場所に駆け戻り、両手で頬をぴしゃりと叩いて気合を入れた。
「よしっ。集中!」
 今度こそと思った作業は、どうにか形がついたらしく、寒河がおやっさんに見てもらうと、眉間に皺が刻まれていたものの、及第点というふうにうなずいた。
 ほっとして、また自分の持ち場に戻り、寒河が加工前の金属板を取りあげたとき、長身の男が表の引き戸を開けた。
「あ、おか……」
「智康さん、おかえりなさい」
 言いかけた台詞に声が重なった。そちらを見やれば、小柄な青年が早足で男の許に近づいていく最中だ。
「ただいま、ヤエ」
 応じる男は皆瀬智康。この工場の二代目で、ヤエこと八重垣遥季とは相思相愛の仲なのだ。
(あーあ。ふたりともうれしそうな顔しちゃって)
 特に智康は、普段がたいへんとっつきにくい雰囲気だから、遥季の前での豹変ぶりが目立っている。
(恋人に、こんだけデレるひとだとは思わなかったんだけどなあ)
 この感想は、寒河のみならずほかの面々もおなじらしく、若干面食らいつつも微笑ましく見守っているというのが実情だ。
 戸惑う理由は、智康に同性の恋人ができたことで、この工場の古株たちは彼の女関係が結構お盛んだったのを知っているから――あのトモさんが――と意外に思っているようだ。
 そして、同時に微笑ましく感じているのは、とにかく智康が過剰なまでに遥季を大事にしているからだ。
 そのいっぽうで、遥季のほうも不要に恋人に頼ることなく、自分に出来る精いっぱいでこつこつ努力を重ねている。
 そんな遥季を智康は少し離れて見守っていて、はらはらしながらもぎりぎりまでは手を出さず、相手が行き詰ってしまったときに、さりげなく助けている。
 そうしたふたりの関係を見ていると、同性だとかなんだとかは、もういいかと思えてくるのだ。
(だってトモさん、まるでひとが違ったみたい……つうか、これがほんとのトモさんかもって思えんだもん)
 気風がよくて、頼もしくて、面倒見のいい兄貴分。
 やむをえない事情があったとは言うものの、長いあいだ鬱屈していた智康は、遥季という存在と出会ったことで、そうした本来の気性を取り戻している。
 そればかりか、この工場の仕事にもよりいっそう身が入り、新しいアイデアもたくさん湧いているようだ。
 だからこそ、智康の恋人がたとえ男だったとしても、おやっさんをはじめとするこの工場の連中も、その事実を受け入れていられるのだろう。
(まあ……トモさんが彼シャツならぬ、カレ作業着をヤエちゃんに着せてきたときはびっくりしたけど)
 自分の作業着を遥季に着させて、皆の前に連れてくる。
 これはもう――こいつは俺のものだから――の表明でしかあり得ないし、だぶだぶの借り着を纏った遥季のほうも、気恥ずかしいがうれしくてならないような顔をしていた。
(ヤエちゃんは天然で、晩熟だから気づいていないんだろうけどさ、トモさんてすっげえ恋人を囲いこむタイプだったよ)
 これは前に智康に言ったことだが、
 ――ヒツジちゃんをいそいそと自分の囲いの内側に運びこんで、あれこれ面倒見倒してる。そんなトモさん見ているとむず痒いけど、なんかしっくりくるなって。
 この感想はいまも変わらず、だからこそふたりの周りの人々も、彼らを温かく見守っていられるのかもしれなかった。
「ん、なんだ? なにか用か?」
 感慨深くふたりの姿を眺めていたら、智康がこちらの視線に気づいて言った。寒河は凛々しい顔立ちの男を見つつ、頭に浮かんだ言葉をそのまま口にする。
「えっとね。トモさんと、ヤエちゃんって、駆け落ち婚になるのかなあって」
 そう洩らしたら、智康は両眉をあげてみせ、遥季は目を丸くした。
「あ、あの……駆け落ちって、僕たちはそんなのじゃ……」
 あわてた遥季は頬を赤らめ、しどろもどろになっている。
 皆がわかっていることだから、そんなにも気にしなくていいのにと思っていたら、遥季は寒河に「ごめんなさい」と言いながら、智康から数歩離れた。
「なんで、あやまんの?」
 理由がわからず訊ねたら、遥季がますます困った顔で訳を言う。
「こ、ここは仕事場なのに、智康さんに馴れ馴れしくし過ぎました。僕のわきまえが足りなくて、だから申し訳ないと……」
「あーじゃあなくて。そゆんじゃなしに、俺はただヤエちゃんの実家って、ふたりの仲を反対してるっぽかったじゃん。だから、駆け落ちになるのかなあって」
 これは言葉が足りなかったということだろうか?
 べつに遥季を困らせようと思って言ったことではなく、恐縮されるとこちらもかなりあせってしまう。
「仲いいのは微笑ましいし、ここの雰囲気もよくなるし。だから俺も羨ましいなって思ってて」
 なんとか自分の気持ちを正しく伝えねばと口早にそう言うと、智康がおもむろに足を動かし、遥季の隣に移動した。
「羨ましがらせて悪いが、駆け落ちはちょっと違うぞ」
 言うなり智康は、腕を伸ばして遥季の肩に手をやると、ぐっとその身体を抱きこんだ。
「と、智康さん……っ!?」
「俺達のは駆け落ち婚じゃなく、事実婚だ」
 これを堂々と言ってのけるものだから、寒河はぽかんとした顔になるし、たまたま近くを通りかかったサヨさんは肩を下げて苦笑した。
 それからサヨさんは、真っ赤になった遥季の顔と、澄ました表情の智康と、間抜け面を晒している寒河をこもごも眺め、そののち寒河の肩をぽんと叩いてから口をひらいた。
「まあなんだ。おまえも早く恋人を見つけろって話だね」
 思わぬことからお鉢がこちらに回ってきて、寒河は「サヨさんっ」と唸り声をだしてしまった。
「それ言わないで。せつなくなるっす」
 寒河がオーバー気味にしょげてみせると、周囲の雰囲気がいっきにほぐれ、皆がそれぞれの表情で笑みを浮かべた。その直後、
「カンチ! おい、この手順を見せてやるからこっち来い!」
 おやっさんの怒鳴り声で、寒河は飛びあがった。
「はっ、はいっ!」
 あわててそちらに駆け出しながら、寒河はおぼえず「ふふっ」と笑いを洩らした。
(なあんか、こーゆーの、すっごくいいよな)
 遥季が来る前もそれなりに充分いい形になっていたが、いまはもっと綺麗に回っている気がする。
 智康が連れてきたヒツジちゃんがいっぴき加わり、この工場はますます気持ちのいい前向きな場所になった。
 たとえこの先なにがあろうと、侠気があり、遥季にべた惚れの智康は、相手を決して手放しはしないだろうし、遥季もまた智康から離れようとはしないだろう。
(まあ俺も、自分にとってのヒツジちゃんが見つかると万々歳なんだけど)
 だけど、それはいつのことか知れないし、いまはもう少しこの雰囲気を楽しんでいたいのだ。
「おやっさん、すんませんっ。ぜひ手本見せてください!」
 そうして寒河は、真剣そのものの表情で、へら絞りの装置の上に視線を落とした。

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